『陰翳礼讃』終了致しました。
- 2016.12.10 Saturday
- 02:45
お越し頂いたみなさまありがとうございました。
今回の個展のタイトルは、toitaの店主高野さんのご提案により
谷崎潤一郎氏の随筆『陰翳礼讃』からお借りしました。
この展示をきっかけに初めて読んでみました。
自分の中に確かにあるのだけれどことばにするのは難しいぼんやりとしたものが、
はっきりと文章になっているような…
自分の想いや頭の中が少し整理されたような気がします。
最後に『陰翳礼讃』の中で一番私が共感した部分を引用します。
われわれは一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む。それは天然の石であろうと、人工の器物であろうと、必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光りなのである。尤も時代のつやなどと云うとよく聞えるが、実を云えば手垢の光りである。支那に「手沢」と云う言葉があり、日本に「なれ」と云う言葉があるのは、長い年月の間に、人の手が触って、一つ所をつるつる撫でているうちに、自然と脂が沁み込んで来るようになる、そのつやを云うのだろうから、云い換えれば手垢に違いない。して見れば、「風流は寒きもの」であると同時に、「むさきものなり」と云う警句も成り立つ。とにかくわれわれの喜ぶ「雅致」と云うものの中には幾分の不潔、かつ非衛生的分子があることは否まれない。西洋人は垢を根こそぎ発き立てて取り除こうとするのに反し、東洋人はそれを大切に保存して、そのまゝ美化する、と、まあ負け惜しみを云えば云うところだが、因果なことに、われわれは人間の垢や油煙や風雨のよごれが附いたもの、乃至はそれを想い出させるような色あいや光沢を愛し、そう云う建物や器物の中に住んでいると、奇妙に心が和やいで来、神経が安まる。
(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』より引用)
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